不便でも生活の営みを実感できる家 古材の活用と大工の手刻み

依頼主さんには、住まいについて二つのこだわりがありました。 一つは、風流と懐かしさを感じさせてくれる暮らしで、 もう一つは、視覚・聴覚・触覚など 人間の感覚をやさしく包み込む暮らしでした。

住まいへの「こだわり」に こだわり抜いた家を

便利さだけで得られない、本当の「幸福感」を探して

どこか懐かしく、人間らしい感覚が充分に働く余地のある環境の中でこそ、夫婦の豊かな生活と子どもたちの健やかな成長が実現できるのではないでしょうか。その選択は、結果として多少の不便を強いるかもしれないが、それ以上に得るものがあるはず。確かに古い材料や自然の素材は、日々の掃除や手入れを必要とします。しかし、その日々の営みが自然のうちに人の姿勢を正してくれます。そこには、省略してはいけない大切な生活のリズムがあります。

現代人は、便利さや快適さを求めるあまり、生活していることの実感や、そこから来る幸福感を失いつつあるのではないでしょうか。住まい手側の思索と、作り手側の思想が共鳴しあったところに、この家は生まれました。


新築なのに古い家新築なのに古い家

設計した大津宏伸さんの案内で、「不便でも生活の営みを感じる家」を見に行きました。神奈川県綾瀬市の閑静な住宅街です。

「着きました。ここです」「えっ、ここ?」

着いたところは、古い家の前です。周囲の景観に、何の違和感もなく溶け込んでいる家でした。私たちの来訪を待ちわびていたように、依頼主のNさんがわざわざ道路まで出てこられました。

「まるで昭和の初期からずっと建っていたような懐かしい感じのする家ですね」

挨拶もそこそこに話しかけると、Nさんは嬉しそうに家づくりの経緯を話してくださいました。

「子どものころ毎年遊びに行った、長野の祖父の家を、ほんとうに今でも毎日思い出します。懐かしい草葺の古民家。自分が家をつくるなら、そんな昔の楽しい日々に戻れる家にしたいと思っていました。でも、まさかここまで徹底できるとは、正直思いませんでした。建築士の大津さんには、大変ご苦労をおかけしたと思いますが」

大津さんが付け加えました。


この家は、 オープンシステムでないと無理だった

規制に影響されない空間が生まれた! 規制に影響されない空間が生まれた!

家づくりに対して、とても強い思いを抱いていたNさん。

「家は単に雨風をしのぐものではありません。そこに住む人の生き方や考え方、すべてが凝縮されています。子どもの教育もしかり、住環境が心身に及ぼす影響は計り知れないと思います」

奥様が上の子を身ごもったことをきっかけに本格的に家の構想を練り始めたNさん。それから7年、自分で考えた計画案ができました。

2002年、Nさんはオープンシステムの建築士が近くにいることを知り、おおつ住宅工房一級建築士事務所訪ねました。分離発注という手法にも関心がありましたが、家づくりに対する大津さんの考え方に共感できるところがありました。

熟考を重ねて1年半後、Nさんは再び大津さんを訪ね、家づくりをお願いしたいと申し出ました。Nさんと大津さんは、さらに1年かけて、もう一度基本設計を練り直しました。そこでできたのは、次のようなコンセプトと具体的な内容です。

設計のコンセプト

昔から見慣れた日本の家の外観と室内。  自然素材を多用した気持ちのいい家。
間仕切りのほとんどを容易に取り外して解放できる、家族のプライバシーと交流を両立させる家。 
遊びと安らぎと機能性の家。

家づくりの具体的な内容

主要な構造部は、極力金物を使わず大工の手刻みとする。  建具は外部、内部とも木製建具を使う。
田の字型に配置された9本の通し柱に檜5.5寸(16.5㎝)角以上を使う。 
必要に応じて古材(木材や建具)を調達する。
室内の壁は本漆喰で仕上げる。(慣れない珪藻土は使わない) 
玄関、廊下、縁側、居間、和室は徹底的に古民家に似せる。
新材は角材に鑿(ノミ)で面取りをし、古色塗装を施す。 
リビングルーム、ダイニングルームをつくらない。  気密性を求めない。
エアコンは使用しない。扇風機、石油ストーブ、コタツ、遠赤外線パネルヒーターを使う。

見積金額と業者選定見積金額と業者選定

Nさんは、すべての要望を満たせば、かなりの金額になるだろうと予想していました。しかし、予算内で収まるなら、少しくらい高い建物になっても、つくる価値のある家だと思っていました。

地元の工務店の見積もりが約3700万円、オープンシステムが約3400万円でした。工務店の見積りには、設計料と工事監理料は含まれていません。さらに一部設計内容の変更と、すでに買い付けてある古建具を諦めることが条件でした。

一方、オープンシステムの見積りには、設計監理料が含まれています。これらを加味すると、工務店とオープンシステムでは金額で700万円くらいの差がありました。さらに金額では計れない決定的な違いがありました。工務店での施工の場合はすでに買い付けてある古建具を諦めねばならないのです。これでは意味がありません。


最終的にオープンシステムで契約した理由を、Nさんは次のように振り返りました。

「私自身は、なにがなんでもオープンシステムで、という考えはありませんでした。それで工務店の見積りをとってみたのですが、予算を超えてしまって私には支払不能な金額でした。それに加えて決定的だったのは、大津さんの存在です。大津さんは、けっしてわざとらしいデザインなどはせず、建て主の私の希望をよく理解し設計に反映してくださいました。だから今振り返ってみれば、オープンシステムがなければ実現できない家だったのです」


天然素材の気持ちよさ、 古い建具のデザインを楽しむ

職人でさえ古材と見間違えるほどのこだわり

コツをつかまないと、スムーズに開閉できない古建具。薄暗い照明。刻みのときに失敗した、構造材のホゾ穴。手入れしないと傷む杉の雨戸。これらはすべて、今どきの依頼主ならクレームのオンパレードかもしれません。Nさんは、逆にそれを楽しんでいました。意図した以上のものができたと。

新築なのに、建具がガタピシしていても本当にうれしいのでしょうか?単刀直入に訊いてみました。

「天然の材料の気持ちよさ、古建具のデザインの良さ、本当に満足しています。でも実は、妻には申し訳ないという思いもあります。雨戸が20枚ほどあるのですが、この開け閉てがデリケートで難しく、少し負担をかけてしまっています。妻は人一倍不器用なものだから、いろいろコツを教えるのですが...。でも、もうすぐ子どもが大きくなった時には、子どもに与えられる仕事ですから、その日の来るのを待っています」

Nさんの家を訪れた人は、絶賛したりけなしたり、さまざまだといいます。いわゆる古民家再生ではなく、古い建物を現代的な感覚で再生したものでもありません。昭和の初期にタイムスリップしたような錯覚を覚える、ごく見慣れた、「新築なのに古い家」なのです。

大津さんに現場の苦労を訊きました。

「Nさんの家では、古材と新材が混在していました。仕上げ段階で大工さんを拝み倒し、新材の柱や梁の角を面取りしてもらい、ベンガラで塗装して古く見せました。職人でさえ古材と見間違えたくらいです。Nさんの家の本当のすごさは、新築なのに本物の古い農家のように見えるというところと、特定の空間にはこの古民家風の方針を徹底する一方で、それ以外の部分の見かけにはあっさりこだわらない、つまりハレとケの空間を厳然と区別しながら共存させたその方法論にあると思います。だから実際、黒くて重苦しい古民家風があるかと思えば、息の抜ける明るい部屋もちゃんとあるわけです。

古民家風の1階から明るい2階へと階段を上がって行くときのちょっとドラマチックな変化には誰もが感動するようですね。Nさんの家は、居酒屋やバーではなく、きちんと住宅として作られているのです。息の抜ける「ケ」の領域をきちんと用意しているからこそ、「ハレ」としての見せ場を本格的な遊びの空間として、とことん追求することもできたと言えます」

昔の障子や板戸で囲まれた黒い板張りの居間は、けっしてピカピカの空間ではないけれど、取材する側もどこかほっとした気持ちになっていました。

建築家に聞く〜家づくりホントのところ〜

記者は一級建築士です。オープンシステムで設計・工事監理をした経験もあります。それでもNさんの家を見たとき、よくも思い切って、こんなに難しいことに挑戦したものだと思いました。そして、家の中をくまなく見て回ると、さらにその思いは強くなりました。大津さんが、「ベソかくほどきつかった」と、さらりと笑顔で言ったのは、きっと本音に違いないと思いました。大津さんは次のように振り返りました。

大津さん: 使われていた古い建具をたくさん使ったので、寸法の調整がとても大変でした。あっちの寸法を合わせれば、こっちの寸法が合わなくなります。幅も高さも両方ですからね。結局、柱の間隔など構造的な部分はあまり複雑にせず、建具を削ったり下駄を履かせたりして対応しました。

イエヒト: 古い建具を使うことを、建具屋さんは嫌がりませんでしたか。

大津さん: 新しい建具の製作をお願いしたところに、古い建具の調整もお願いしたのですが、嫌がりませんでした。しかし、どこの建具屋さんだってこういう経験はありませんから、思った以上に手間がかかったようでしたね。

イエヒト: 大工さんや左官さんの反応はいかがでしたか?

大津さん: やはり職人さんは、ここが腕の見せ所、という仕事に出会うと張り切りますね。腕を発揮できる仕事に出会って、さらに腕があがる。職人の技を未来に引き継ぐためにも、建築士としてこのような仕事との関わりを、これからも大切にしていきたいと思います。

おおつ住宅工房 大津宏伸 (神奈川県秦野市)